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都内のホテルで行われた、阿久悠さんを送る会に行ってきました。
阿久先生(あまりにも巨匠で大先輩なので、やはり先生と呼んでしまいます)の所属する事務所。そこに私も、デビュー以来、長年にわたってお世話になっていたからです。
当時、ごくたまにお見かけしても、丁寧にご挨拶するだけでしたが、一度、音楽作家だけで集まって、お鍋を囲んだことがあります。
もう20年も前のことですが、そのとき、阿久先生が我々若手におっしゃった言葉を私は忘れることができません。それは
「とにかく数を書くこと。たくさん書き続けることが大切だね・・・」
という言葉でした。その言葉どおり、阿久先生が約40年間で世に出した作品は、なななんと5000曲以上!そしてその多くが大ヒット曲!
その曲名が書かれた小冊子を頂いたので見て数えてみたら、76年~79年ごろは、年間300曲近くも書かれていました・・・。すごい!のひとことです。もちろんシンガーソングライターがほとんどいない時代ではありましたが、色んな意味で、もうあのような方はこれから出てこないかもしれません。
歌って、多くの人々を楽しませ、感動させ、元気づける力を持つもの。そう考えると、阿久先生の世の中に与えた影響ははかりしれないものがあります。
しかも、数を書く。クォリティを落とさずに書き続け、それを世に出すには、才能と努力、仕事への愛情がなくてはなしえません。そしてそれは、世の中から、時代から、求められているからでもあるでしょう。
そんな阿久先生とは、ほとんど会話らしい会話などしたことはありませんでしたが、その昔、一度だけ、事務所の階段で、呼び止められたことがあります。19年も前のことです。
お会いしたのでご挨拶して、通り過ぎようとしたところ、私を見て
「あ、こんどの明菜の新曲の詞、いいね」と、言って下さったのです。
私は緊張してしまい、「あ・・・あっ、ありがとうございます!(汗)」と答えましたが、ほめて頂いたことが、とても嬉しかったことを覚えています。
当時、私には、ヒット曲と言えるほどのものがなかったため(いまだにあまりないが・・・汗)、先生は、「よかったね」という意味もあって、かるーく言って下さったのかもしれませんが、私は、認めて下さったことにすっかり感動してしまったのでした。
あれから19年、その時ほめて頂いた「TATTOO」は、最近、清春さんがカバーして、再び世に出ました。私も、もともと黒夢のときから、清春さんをカッコいいなと思っていたので、とても嬉しく新鮮な出来事でした。
でも、私は新しい作品を書き続けなきゃ~、とも思います。
生涯、5000曲以上のリリース(私には年間300曲近いというのが、またまた実感を持った驚きでしたが)、レコード大賞5回、レコード大賞作詞賞7回、出版した著書50冊。そんな偉業をなしとげた巨匠には遠~く遠~く及ばなくても、歌が大好き、歌詞を作るのって楽しい、そういう気持ちだけは私にもあるからです。
「数を書きなさい」とそこにいた若い作家たちに言った先生の言葉は、今も胸に響いています。
昨日のお別れ会の会場は、ものすごい人の数、そして著名な人々がいっぱいでした。
そんな中で、私が一番印象に残ったもの。それは展示されていたもの。この原稿や、おびただしい数のレコードジャケットや著書でした。
いまも天国でも歌を書いているに違いない阿久悠先生・・・。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
青山の裏通りを歩いていましたら、こういう看板を見つけましたの。
ご覧になって下さる?
どこか、昭和初期、いいえ、どこか大正のかをりがしなくって?
あ、そうですわね。みなさまには、そんなことおわかりにならないわね。
そんな古(いにしゑ)のことなど・・・。
あら、いやぁだ、わたくしだって、そこまで年ではなくってよ。ほほほ。
でも、わたくし、こういう浪漫の世界って、好きですの。
他界しましたわたくしの母が、もちろん昔の人でございますから
吉屋信子先生の少女小説がとても面白いと申して、わたくしも、母から古い本を譲ってもらい、
読んでいましたのよ。
そう。それは、美しい世界でしたわ。
花物語・・・・・・って言うタイトルでしたかしら。
女学校での、S・・・って、ご存知?
シスターの頭文字のS・・・。
下級生から上級生のおねえさまへの憧れ、思慕。
つまり同性愛なんですけれど
今で言うものとは、まったく違いますわ。
あくまでも、精神的な淡いものですの。
儚くも美しい、青春のきらめきですわ。
そういう麗しい世界が描かれていますのよ。
みなさまも、たまには、そういう浪漫西に触れてみたくはなくて?
あらっ?そこに、そこはかとない禁断のかをりがする、ですって?
まあ・・・なんてはしたないのでしょう。
そうではなくってよ。
わたくしたちの世界。
それは、あくまで清き乙女の世界ですのよ。
いってみれば、薔薇の蕾(つぼみ)が、かぐわしく咲かんとする時・・・
若き殿方などとは、目が合っただけでほほが染まってしまう年頃だけの、たゆたうこの気持ち・・・
おわかりになるかしら・・・?
それゆえ、わたくし、この看板に反応したんですのよ。
また、このような世界でお逢いできたら、このうえなく嬉しいわ。
では、そのときがあると信じて・・・。
みなさま、どうぞその日まで、ご自愛あそばせ。
ごきげんよう。
音女野 祈子(おとめのいのりこ)
先日、ピアニストで作曲家の羽田健太郎さんが他界されたとご連絡を頂き、驚きと悲しみでいっぱいになりました。まだ58歳の若さでした。
ハネケンさんと呼ばれ親しまれた羽田健太郎さんは、『題名のない音楽会』の司会でよく知られていましたが、とても若い頃からピアニストとして活躍され、また映画、テレビ、アニメなどに関わるたくさんの音楽の作曲家としても著名な方でした。
そのハネケンさんの所属事務所に、私もデビュー以来十数年、6年前までずっとお世話になっていたのです。
そのため、『マクロス』シリーズその他、何度かご一緒にお仕事をする機会にも恵まれました。もちろん、あちらは大先輩ですから、私は、お会いしてもなんとなく緊張してしまい、親しくお話したことはありません。しかし、いつお会いしても気さくで、気取らない雰囲気と優しい笑顔をお持ちでした。きっと、本当に一流の方ほど、偉ぶったりしないのだろう・・・私はお会いするたびに、そう感じたものです。
今でこそ、クラシックの世界で嘱望された音楽家が、いわゆる映画やテレビの劇伴、またポップスの世界で活躍することも多くなりましたが、、昔は少なかった気がします。ハネケンさんは、そういった意味でも、さきがけの音楽家だったのではないでしょうか。
今日のお通夜では、会場の出口に、いつもご自宅でハネケンさんが練習したり、作曲するときに弾いていらしたグランドピアノが置かれていました。私たち列席者はその鍵盤に触れてみました。私の脳裏には、すぐにあの笑顔が浮かびました。
そういえば、ずっと昔。事務所の忘年会の帰りに、みんなでピアノバーへ行ったときのこと。お酒を飲んで少し酔ったハネケンさんがピアノを弾いて下さったことがありました。今思えば、なんて贅沢な二次会だったのでしょう。
あのピアノを生で聴くことは二度とできません。
でも、いまは天界で、繊細かつおおらかにピアノを演奏し、自由に美しい音楽を創っていらっしゃる。そう私は信じています。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
うちの猫、テオ(左)とノエル(右)です。
今日からブログを始めることにしました。
今までは、HP上でときどきコラムを書いていましたが、なかなか更新しないので、皆さんに「まだ更新しないの?」と言われていました(汗)
その理由は、私の怠惰がほとんどです(苦笑)。作詞の締め切りに追われているっていうのももちろんあるけど、結局、締め切りがないものだと、ほったらかしてしまうんですね、私。それと自分でアップできないので、なんとなく身構えちゃったというのもあるかな。結局、なんだかんだ言っても、これ、怠惰のなせるワザですね。
まぁそんな言い訳はともかく、もっと気軽に気楽にその日その日の出来事やちょっとした想いを書くためには、自分ですぐにアップできるブログがいいなと気づいたわけです(何を今頃・・・)。
でも、コラムのほうは、きちんとしたテーマで今後、書いてみようと思います。そんなこと言って、またなかなか更新しないんじゃないのぉ?というツッコミはあると思いますが、私としては、書きたいこともあるので、どうぞよろしくお願いします♪
J-POP、アニメ主題歌などこれまでに約800曲の楽曲をリリース。
※詳しい作品情報、新譜リリース情報等は公式HPにあります。
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