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ここ数日、風邪でダウン。
まず最初にあらわれたのが、喉のイガイガ。
それと同時に、くしゃみ、鼻水。
そして咳。これがひどかった!
やがて熱。38度5分にさーっとあがる体温計。
まさに風邪のフルコース。
それでも仕事していたら、頭がボーーーーッとしてきて、だるい。横になりたい。
そして咳き込む。苦しい。ゴホンゴホン。
咳の薬で咳を止めたら(って、止まらないんだけど)その後、どういうわけが喉に激痛。
そして、咳をしまくっていたら、あばら骨に激痛。
昔もあったんだけど、たぶん、肋骨にヒビ。
以前、整形外科で聞いたら、そういうことって結構あるらしい。
とにかく、熱に浮かされて頭がウニ。あああ、し、締め切りが・・・。
とうとう・・・お仕事先のプロデューサーにお電話してしまったのです。
「もしもし・・・あ、あの・・・森です・・・」
ドスの効いた声変わりに、びっくりされたプロデューサーのかたはとても優しくて、ちょっと調整してみます、と。
そして、数日、締め切りを延ばしてくださいました。そして「お大事に・・・」と、言って下さった。
ううううう(泣)感謝で涙が出ました。でも、申し訳ない気持ちでもいっぱいになる。
というのも、私はしめきりを伸ばしたことなんて、ほとんどないからです。
そんなの当然といえば当然ですが、二十年以上、そうしてきました。
兄が危篤になったとき、エッセイの連載を一回、休んだことがあるけど。
なのにっ、なのにっ・・・。
本当に、申し訳ありません・・・。(と、ここに書かかれても・・・ですよね?・・・)
でも、そのおかげで、その日は
「これでもかぁーーーーっっっっ」
というくらい、たくさん眠ることができました!
あれから二日。
今日は熱もひきました。まだ声がちょっと鼻声だけど、だみ声ではなくなり。
締め切りを伸ばしていただいた歌詞も、頭がはっきりしたらしく、スムーズに出来てきました!
ちなみに余談ですが、今年95才になる、私の父親はほとんど風邪をひきません。
本人も言っているけど、物心ついたころから、私も見たことないし。すごいでしょう?
あの父の遺伝子を持つ私なのに、風邪なんかひいている場合じゃないだろう(いつの場合も)。
皆様にご迷惑をかけないように、もっともっと免疫力を高め,なければ。。
そう言い聞かせる今日でした。
それで思い出した、私の、なんとも言えない(?)ストーンヘンジでの思い出・・・。
それは今から、ン十年も前の学生時代の夏休みのこと。
当時、ロンドンに駐在していた兄の家に、母と旅をしたのです。
そして何日かロンドンに滞在して、ストーンヘンジ近辺の郊外の町にも一泊で連れて行ってもらったんですが。
ストーンヘンジに着いたときは、古代に作られたという不思議な巨石群の光景に圧倒されましたが、実は、それと同時に、とてもとても具合が悪くなってしまったのです。
びゅーびゅー吹く風の中、立っていられなくなりそうなほど気分が悪かった私。
そして一泊した近隣の素敵なクラシック・ホテルではもう、超最悪の状態。
口からはひどい嘔吐、下からはひどい下痢(!)
おまけに、あろうことか美しいクラシックなホテルはトイレが壊れてつまっていたのっ!!!
一緒に宿泊したのが、今は亡き母だったので、全部後始末をしてくれたのですが(うっ、あまりにも汚い話で、すまぬ!!)嘘でしょ?こんなのあり?というひどい状態に。
しかし、私の不調の原因は、お医者さんに診てもらっても原因不明。疲れか、それとも食べ物にあたったか?というようなあいまいな診断。
でも食べ物は、母や兄夫婦と同じものを食べていて、ほかの人はみな平気だったし、疲れといったってね。
当時の私はハタチになるかならぬかという若さ。今だって旅してもそんなにヤワじゃない。
そのときの私は、なぜよ、こんな不調は?と思っただけだったのですが・・・。
スピリチュアルなことに関心のある今では、ひょっとしたら、あそこに過去世いたことがあって、それが相当厳しい経験だったために引き起こされた反応ではないか?と疑っています。
その辺りの景色を見たとき、みょう~な気持ちになった私。
懐かしいような、悲しいような気分。
そして、あのような理由のないひどい不調は、後にも先にもあのときだけ。
今日の番組でも、ストーンヘンジは、生と死を現す場所とされていたし、ダウジングの棒が勢いよく、らせんを描いていた。
んー、あのあたりで、私は、紀元前、儀式にでも参加していたのかしらぁ?
あるいは、もっとあと、あのあたりで魔女と呼ばれて魔女狩りにでもあったのか?
(どちらも何の根拠もなし!)
ということはわからないけど、なんとなく、魔女だったことはあるかもねぇ、などと話したら、パートナーが、
「魔女だったら、魔法を使って俺の作った曲をヒットさせてくれよ」だと。
そんなことが出来るんだったらやってますよ。
しかし、今世はただの作詞屋さん。
魔法なんか使えないから、努力するしかないのよねぇ。
しかし今思い出しても、ストーンヘンジは本当に神秘的な場所だった。
そこに立つと不思議な気分になりますよ。それに圧倒されます。
パワースポットそのものと言ってよいでしょう。
まだ未経験の方にはお勧めです。
(注:私のように気分が悪くなっても、それは個人的理由によるもの。当方、責任は負えまへん(^_^;))
けさは8時半から、胃カメラの検査。
というのも、ここんとこちょっと胃が痛かったりしたんで、二年半ぶりに受診して、胃の検査をすることになったのです。
うちの近所の胃腸科は、麻酔してくれるので、苦痛はないんだけど・・・
まず、喉がしびれるような薬を口に含み、それを喉に入れて、しばらくしてごっくん。
その後、横になって点滴をして、それが軽い麻酔(鎮静剤)なので、ぼおっとしてしまう。
口をあけて器具を入れられたことまでは覚えてるんだけど・・・
いつの間にか終わっていたわ。
ずいぶん前、大学病院でやったときは、苦痛で苦痛でたまらなかったけど、ここでの検査はホント、なんともない。
そして検査後、しばらく別の部屋で麻酔からさめるまで休憩。
ゆったりと毛布をかけてもらって、なんかい~い気持ち。あまり普段ゆっくりしないからかなぁ?
でも、まだしっかりとは醒めてまへん!というころに起こされたので「んー、まだふらふらしますぅ・・・」と申し出て、また横にならせてもらっちゃいました。
そのとき、高校時代、半分さぼり気分で保健室で寝たことを思い出しちゃった。へへへ。
んで、醒めたあと、先生から説明を受けるわけです。
撮った写真を見せてもらうと、ちょこっと荒れているそう。
食道の幽門が少し開いているし、胃と十二指腸も、胃潰瘍っていうほどではないんだけど、少し荒れていたり、引っかき傷みたいなのがあるとのこと。そして細胞検査の結果は二週間後。
原因はなんなんでしょうか?と質問してみると・・・
「食べ物とか、ストレスもあるかもしれないですね」
そっかぁ。やっぱりねぇ。
だって私、お酒もぜんぜん飲まないしさ、タバコも吸わないし、自慢じゃないけど(いや、自慢だ!)野菜大好きでよく食べてるし。
からだによくない食べ物・・・としたら、たまに食べる脂っこいものや、せいぜいスイーツくらいかな?
とはいえ、誰だってあるでしょね。ストレスくらいはさ。
気づかないうちにいろいろとね。
とゆーわけで、今日は先生に指示されたとおり家で休憩。
もちろん、二週間分頂いたお薬は、きっちり飲みましたとも。
猫につきあってもらって、お昼寝。お薬のせいか、しっかりと寝てしまいました。
目覚めたらカメラ飲んだせいかちょっと喉に引っかかりがあったけど、それもしばらくして治まり、ようやく復活。
明日からも、食べ物とストレスには気をつけないとね。
「侍女(たまにママ)、たまには昼寝もいんじゃない?」
「いいよ、つきあってあげても」
「あ、あにすんのよ?私の美貌がっ」
その高校の同期会が、先日あったのです。
同期会は毎年やっているのですが、私が出席したのは、たぶん8年ぶりぐらい。
そこで懐かしき同級生たちに会い、言われたことは。
「いや~、○○さん(私の本名)って、ホントよく寝てたよね~」
そう。私は今から約ン十年前の高校時代、授業中、ほとんど寝ていたんデス。
まず朝。
私たちの高校はキリスト教系(女子校)だったので、礼拝があったんです。
これが眠いんだなぁ・・・。
しかも、週に一回「沈黙の礼拝」、なんていうのがあるんですよ。
これって「寝なさい」ってことでしょ?
そして礼拝があるってことは、その分、普通の学校より早く行かなくてはならない。
うちからは学校まで45分位はかかったから、すなわち早起きして学校へ来ている。
これも「寝なさい」ってことでしょ?でしょ?
あと、よく一時間目から嫌いな数学があったなぁ。
物理とかもあった。化学も。当たり前だけど。
これだって、「寝なさい」ってことでしょ?違う?
違うか・・・・・・。
でも、実は私は苦しんでいたんですね。
「起きてなきゃ、起きてなきゃ」って思うのに、そして友達も腕をつついたりつねったりして起こしてくれるのに、どうしても眠くて、机につっぷして爆睡してしまう。それだけ睡魔が激しかったんです。
今思うと、なんか「ビョーキ」に近かった気もする。
まさに、ちょっとした適応障害みたいなものだったのかも。
そ。高校時代の私ってば、劣等感のカタマリだったし、色々と微妙な時代でした。
リアルに毎日がつまらなかった。居場所がない感覚もありました。
でも、眠りに逃げるほど悩みもいっぱいあったけど、遠い記憶になれば、全てが美しい思い出。
時間という絵の具は過去を美しくしてくれるんですね。
「もっと、楽しめばよかったね。もっと色々やれることがあったよね。
あのころ、あんなに若くて可愛かったのに、私たち」
と、今では旧友としみじみ振り返る、ただただ寝ていただけみたいな高校時代。
いや、もちろん普通に男の子とつきあったり、友達と遊んだり、スキーに行ったり、部活(演劇部)とかも楽しみましたけどね。
いわゆる学校生活なんかうすらぼんやりとしか覚えていない。なにしろ寝てましたから(しつこい)。
優等生でもなく、それでいて頭でっかちで、運動神経なしで、先生にも叱られてばかりだった私。
しかもその理由も取るに足らないもの。
居眠り以外でも、
ノートを忘れて叱られる。
制服のスカートが短かすぎると叱られる。
授業中、教科書の余白に漫画を描いていて叱られる。
(校則も厳しかったんですね)
それでいて、不良チックに悪いことをする勇気はなし。
中途半端で、ただ要領が悪いだけで叱られてたというわけです。
そのせいで、ほとんどの先生のことも大嫌いでした。
私が好きだった、今は亡き理解ある先生からは
「あなたみたいな人は、劇団に入るとか、何か一般的な道じゃないほうがいいかもね」
なんて言われましたが・・・。
品行方正なイイお嬢さん路線しか頭にないうちの親にとっては、そんなことは、アウトオブ問題の極致です。
それだけうちはとても厳しくて(時代も昭和、今とは違いますけどね)、本質がキテレツな私は、親からの締め付けもあっていよいよ眠くなるばかり。
(ちなみに先生はほとんど女性。校舎のとなりには「教師館」というものがあり、そこにお住まいの、生涯独身のクリスチャンの先生もたくさんいらした。
男の先生はみなお年の方ばっかりでした。見事なほどに。今はどうなってるのかなぁ?)
しかし、今は叱ってくれたその先生が今、さらにお年を召してもお元気でよかった・・・と心から思います。
叱られた意味が今になったよくわかるということもある。
でもいちばんには、今は本気で誰かを叱る(怒るじゃなく叱る。ここポイント!)人を見かけなくなったからです。
そして今本当によかったと思えるのは、私自身、閉塞感や悩みが山ほどあったり、挫折したりことが、歌詞を書くための力になっていると感じるからです。
ま、どれも今思えば甘っちょろいにもほどがある!んですが、あのころの私には、大きな悩みだったんです。若かったですからね。
深く悩んだ経験がなければ、悩んだり傷ついたりする心をまるごとわかることはない。だから私はよかったなと思うんです。
そういう意味でも、私の迷い多き高校時代は、すばらしき日々。
同期会、来年も行くぞ。
写真は、お年を召してもかくしゃくとしていらっしゃる、私を叱ってくださった先生方。感謝。
J-POP、アニメ主題歌などこれまでに約800曲の楽曲をリリース。
※詳しい作品情報、新譜リリース情報等は公式HPにあります。
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